私的感想:本/映画

映画や本の感想の個人的備忘録。ネタばれあり。

『門』 夏目漱石

2007-11-15 21:10:16 | 小説(国内男性作家)

崖下の家でひっそりと暮らす宗助と御米。叔父の死により、弟の小六の学費が打ち切られても積極的に動くでもなく、日々をあきらめたように生きているふたりの夫婦にはかくされた過去があった。
文豪夏目漱石の『三四郎』『それから』に続く三部作の完結編。
出版社:新潮社(新潮文庫)


非常にまったりとしたテンポで始まる物語だ。冒頭の宗助の行動の描写などは実に淡々としていて、主人公の性格も相まってどこか弛緩した雰囲気すら感じられる。冒頭に限らず、作品全体もゆるやかな雰囲気で、展開の速度も決して速いわけではない。
しかしそれでも読み手である僕の集中力が途切れなかったのは、子供のことや過去の事件という謎が伏線として提示されていることと、夫婦の雰囲気の描写が良かったことにある。

主人公の宗助は、端から見ていると、あらゆることに対して無気力に見える男だが、妻に対する愛情に満ちた接し方は独身者の僕には非常に好ましく映る。ふたりの何気ない会話や互いに対する態度は夫婦生活の苦い側面を知らない者には穏やかで心地よい。
特に御米がなかなか目を覚まさず、やきもきする場面などは好きだ。それに子供に関する過去もいい。
そこにあるふたりの愛情の姿は相手に対して気を遣いすぎの気味もあるが、思いやりに溢れており、その優しさは胸の内に染み入るものがあった。

しかしそういった夫婦の愛情の深さは社会的に阻害されざるをえなかったことが大きな原因となっている。不義と裏切りによって結ばれた彼らはふたりでいたわって生きるほかに選択肢はなかったのだ。
しかしふたりで睦まじく暮らしていても、それによって罪悪感が消えるわけでもない。

最後の方に門の比喩があるが、これが彼の心情のすべてを表しているだろう。宗助は自分の罪悪感を宗教によって浄化しようとしているが、どう見ても宗助は宗教に酔うことも、考えすぎて達観を獲得することもできないタイプの人間だ。
罪悪感は厳然として存在し、彼はその前にたたずみ、現実の前で呆然と立ちすくむほかない。
罪悪感から逃れきることができないという絶望がラストになって確かな密度となって立ち上がってくるのが、なんとも衝撃的だ。宗助に冬が来るかは知らないが、その苦いあきらめの感情が胸に突き刺さる。
「三四郎」や「それから」のように華やかさも力強さも若々しさもないが、なかなかの良作であることはまちがいない。

評価:★★★★(満点は★★★★★)

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